カウントダウン

シドニー生活も今日を含めると残り9日となった。日が立つのは早いというのはくどいほど言っているので、もうそれについては振り返らないようにするが、終わりが見えてくると色々と思い浮かべてしまう。

留学によって成長したのか。英語は上達したのか。後悔なくやれたのか。や、日本に帰ったら何をしようか。英語の勉強をどのようにして続けていこうか。そしてこれから就活はどうしようか。など。

やはり自分の根底には就活への意識があり、それに向けて何かしないとという気持ちが込み上げてくる。

就職活動。良い会社に就きたい。ニートやフリーターになりたくない。これまで多大なお金をかけてくれた親に働いてお金や恩を返さなければならないという思いが何処かにある。きっと親もそれを言ってくるだろうし、それを言われたらぐうの音も出ない。それは散々今まで好きなことをやってお金をかけてたからだ。

就活に対して不安しかない。自分には専門的な知識もないし、外国語を流暢に操れる能力もない。とびっきりの社交性や人懐こさもない。どちらかというとシャイな性格なので、人の間を渡り歩いて内定を掴むような力もないと思っている。

自分が何をしたいのか、何に向いているのかもまだわからない。しかし、ネットや人の話で聞くのは、自分がやりたい事を仕事にするのは子供な考え。社会人はそんなこと知らず、お金をいくら稼げるのか、保険などはしっかりしているのかなどを考えて仕事を決めていると。

自分は文章を書くのが好きで、今は軽く記者になりたいと考えている。でも、もし仮に記者になれたとしても、自分の希望する事を書けるかわからないし、多分80%の確率で畑違いの部署に送られるだろう。また自分が書きたい、取材したい、所に行けても理想と違って落胆するかもしれない。

しかも自分のやりたいようにやっても、需要がそこになければ上からは違うようにやれと指示され、でも自分のやり方は正しいんだと思いながらも上の言う通りにやらざるを得ないので、フラストレーションを溜めながら仕事をしていくしかないのだろう。

人生思い通りに行かないのは少しずつわかってきた。自分がやりたいと思うことに才能がなく、その道で輝けないということもわかった。だいたいはうまく行かない。

そのなかで何を自分はやっていけるのか。自殺を考えたりやうつ病にならないほどのストレスを感じなく、ある程度お金を稼げる仕事が良いのか。

考えは続くが、社会人になるまでのタイムリミットは長くない。

休日

新しい学校は月~木までしかないため金~日までが休日になった。

休日の過ごし方が意外とめんどくさく感じる。計画性のない自分は無計画のまま当日を迎え思い付きで行き先を決める事が多い。何かしないと、もったいない。という気持ちがあるのでとりあえず何処かに行くが、1人で遠出するのは何かつまんないので近場でぱぱっと済ませるのが主だ。

この日記を書きながら、今日見つけたオペラハウス近くのレストランを誰か誘っていけばよかったと後悔しつつ、まあまあとりあえず綺麗な景色を見れたからいいかという満足感もありつつ。明日、明後日と予定があるのでそれに向けて。

リスク

去年自分も参加していた自転車レース「行田クリテリウム」の市民カテゴリーで接触、転倒があり、男性が1人意識不明の重体であるというニュースを目にした。開けて今日、重体だった男性が亡くなったという情報が入ってきた。ご冥福をお祈りします。

自転車レースは命の危険を伴う競技には間違いない。時速50~60km/h出る中で吹っ飛んだら軽い怪我で済む方がラッキーなほど。自分も落車で無数の擦過傷をおったり、鎖骨骨折も経験した。ヘルメットを被っているものの、薄いウェアを纏うだけなので、ほぼ生身の体のまま放り投げられる。もうそのあとはどうしようもない。

 事故の原因がタイヤのバースト(破裂)ということだが、詳しい情報、正しい情報は確かではないので何とも言えない。

自転車競技には自転車競技をやっている者にしかわからない快感だったり、やめられない何かがあると考えている。だから例え怪我を負ってももう一度レースに参加しようと決意するし、それが原因でやめようと思う人が少ないのは自分の周りを見ても確かである。

これからアンチ自転車競技の人が、これぞとばかりにやれ危険だ、大会なんて中止しろという声を上げるかもしれない。確かに、ロード乗りは今まで以上に歩行者や車に配慮して走行していくのは間違いない。対向車線にはみ出すような行為や車を煽るような行為は絶対にするべきではない。

しかし理解しておきたいのは、レース中の事故と一般道で走っている時に起きる事故は別物である。レース中の事故はほぼすべて自己責任であると認識せねばならない。自分が単独で転ぶ場合もあれば、他者の転倒に巻き込まれて転ぶ可能性も高いのである。

自分の記憶する限りでは、これが、アマチュアライダーがレース中の事故で亡くなった初めての例であり、また自分が参加していた大会、コースで起こった事故として凄まじい衝撃を受けたものだった。

また来年「行田クリテリウム」が行われるかどうかは分からないが、この事件をきっかけによりいっそう自転車に乗る危険性やレースに参加する責任を呑み込んでいかなければならないと思う。

farewell

タイトルのfarewell は、お別れする、見送るという意味だ。

今まで、英語で友達に I went to airport to say good-bye. と言っていたので、これからはfarewellを使っていこうと思う。

といってもおそらくもう誰かを見送ることはなく、自分が見送られる側になるだろう。もう残り2週間だ。

今日は多くの友達が帰国する日だったので、学校の人をよく空港で見かけた。自分も見送るために空港へ行ったのだが、別れの時は少し感傷的になる。しかし泣くほどではなかった。

小、中、高と卒業、別れの式を経験したものの涙を流す、ものすごく過ごした日々を大切に思い過ぎることはなかったので、振り返ってみれば普通に終わった。元々そういう性格な為、そういう風に感情が湧かないのもあるのだろう。

別れの時に泣きたくはないが、シドニーを立つときに思い残しがないようにするため、2週間を充実させたい。

早いもので

時間はあっという間に過ぎていくと思ってたけど、どこか半年は長ぇなとも思っていた。

しかし、学校卒業、本来なら帰国前日である今日感じるのは短かったなということ。

初めて降り立った9月。もう周りにびびりまくり、緊張しまくり、でもそれを隠して強がっていた。ジムに通うだけでも、いちいち戸惑っていたりと今考えれば笑える事ばかりで懐かしい。

ホームシックにならないかな、とか早く帰りたいと思わないかなとナーバスになっていたが、振り返ってみればそんなことはなく。本当に周りに恵まれ、環境に恵まれ、助けられて過ごしてきた。

残り2週間。

隠居生活や引きこもるような生活はせず、ガンガンアクティブに過ごしていこう。

価値観

「海外で暮らした方が絶対良いよな」

留学生や海外で暮らしていた経験がある人が日本を評価する時に良く聞く言葉だ。

全員という訳ではないが自分の知る限り80%くらいの人がこう言っていたと思う。

何でそういう風に思うのだろうか。

ある友達は、「人間関係が楽」

違う友達は「こっちの方が自由やし」

また「日本つまらない」と言っていた。(最後のやつはその人の生活スタイルによる)

自分が思うに、海外で暮らす方が精神的なストレスを日本より感じることが少ないのではないだろうか。

例えば電車。

オーストラリアで、シドニーで日本ほどの満員電車に乗ったことがない。

勿論、日本または自分の姿勢に暮らす東京の方が人口密度は高く、そういった意味では一概に比較できないのを考慮するが。

しかし、この電車事情の問題は濃い。

例えば、満員電車では痴漢、冤罪といったリスクが耐えない。また混雑に対するストレスで肩がぶつかった、足が踏まれたなどといざこざに発展する可能性も高いだろう。特に朝の多くの人がストレスを抱える時間帯では。

一方シドニーでは、だいたい座席に座ることができ、例え混雑していても壁に顔を押し付けられるほどではない。朝も座れて、読書や動画を見るなど、仕事、学校前のリラックスタイムを過ごせる。

またこちらの電車、座席のスタイルが日本でいう新幹線のようなタイプなので席数も多く、座れる確率が高いのも良いところだ。

未だにただの1度も「この人痴漢です」や「てめぇ何ぶつかってんだよ」という声を聞いたことがない。

ただそれは自分の周りでは起きてないので、他の所では、どれくらい痴漢や冤罪といった問題がpublic transportationの中で発生しているかはわからない。また日本に21年住んでいて電車利用も15年間しているのと比べると、こちらでは5カ月しか滞在していなくて、そもそもそういった問題をひとくくりに比較することはできない。そこは簡単に、シドニーでは一切車内でトラブルは起きませんと言えないのは確かだ。

 それでも東京より心の穏やかさは感じられるのではなないか。

自分が感じたストレスフリーな例として電車を挙げたが、それ以外にもまだ要因は存在する。

次はライフスタイルについて感じたことを書き記そうと思う。

意識の違い

語学学校のイベントで、それぞれの国の郷土料理を各々が作り、食べ合うというイベントが行われた。

自分は寿司を選択。とはいっても握り寿司なんて作れないから、即席の手巻き寿司を用意することにした。

鮮度の事を考えて前日に作るよりも当日に用意した方が美味しいだろうから、朝6時に起きて準備。何しろ初めて手巻き寿司を作るので色々不慣れなことばかり。ご飯をたいてお酢を混ぜて、具材を切って、最後に海苔に巻く作業。

約1時間程で完成。とはいっても想像していたよりも見栄えはいまいち、具材も充分に用意できなかったので味もそこまでクオリティは高くない。まあでもいいっしょ!と思い、パックに詰めて出掛けた。

公園に集まり皆でシェア。

タイ料理、韓国料理、ブラジル料理などバラエティー豊かで味も素晴らしい!

自分も恥ずかしながらお寿司を出す。初めて自分で作った物を人に食べてもらうから少し緊張した。どんなに小さなイベントでも人に何か評価してもらうのは、緊張するし、満足してもらいたいと思うもの。

中々自分の物を食べてもらえず、ああ、と思っていたら計4人が食べてくれた。

その時嬉しかったし、その後美味しかった、ありがとうと言ってもらい、なんだか恥ずかしくそれでも嬉しい思いに溢れていた。

 

今まで母親にいつもお弁当や晩御飯を作ってもらっていた。シドニーに来てからもそう、ホストマザーがランチやディナーを作ってくれた。ほとんど自分で作って食べるや食べてもらうことなんて経験したことはなかった。

だから、作り提供する側の気持ちや労力を心から感謝したり、理解してはいなかったと思う。ありがたいなと思う気持ちは持っていたが、その大変さや評価されることの気持ちを本当に知ってはいなかった。

相手の立場になって考えるのは難しい。相手の事を理解するには、その人と同じ経験をして経験を味わうことでしか得られないのではないだろうか。

 

たかが手巻き寿司を用意するにも1時間という時間と労力を要した。ではほとんど毎日ご飯を用意してくれる母親やホストマザーはどれだけ大変なのだろうか。例えビジネスでやっていたとしてもご飯を用意してくれることに感謝したい。何より母親はどれだけ尽くしてくれるのだろうか。

作ってくれた物に対する感謝の表し方は完食すること、お礼を言うことしかないだろう。

その気持ち、姿勢をこれから忘れずに過ごしていこうと思った。