新たに
かなりサボっていたが、友達が就活のためにも出来事をメモするなどしていたのに触発されたので、思ったことなどをつらつら書いていきたい。
今日のニュースはどこも、小林麻央さんが亡くなったというのをトップで放送していた。
元アナウンサーで国民的人気ニュース番組の看板キャスター。その後は歌舞伎役者の市川海老蔵と結婚したこともあり、知名度がものすごく高い人だ。
昨年のちょうどこの時期に自身が乳がんを発症かつ深刻な時期まで来ていることを公表しかなりの話題を呼んだ。9月には自分の闘病生活をブログで発信し、ともにガンと闘う人々の支えにもなり、全国民がその様子に気を揉んでいた。
残念ながら34歳という若さ、幼い子供達2人を残して旅立ってしまわれた。
自分の中で引っかかったのが年齢と子供達のこと。
若くして亡くなるのは言うまでもなく、やり残したこと、これからの人生を考えると非常に悔いが残る。また、子供達が5,6歳というのなら尚更だ。
重松清の「その日の前に」「その日の後で」を思い出した。これらの小説の主人公たちもそれぞれ家族がいる中で癌に侵され、子供、奥さん、旦那さんを思う心情を綴ったもの。中学生の時に読んで「自分の母も父も癌にならないで」と強く思ったり、怖くなった記憶がある。
自分の近親者に癌に侵されている人がいない為、癌を患っている人、またその家族の人と同じ思いは抱けないし、その思いも100%共感できない。しかしもし自分がそうだったら再発やこれ以上進行するか等の恐怖感。治療の痛さに苦痛を感じ、もうこれ以上続けたくない、いっそ逝った方が楽なのではないか、自分は治らないんじゃないかといったマイナスな気持ちも持つと思う。
実際、癌の為に仕事を奪われたり、復帰しても仕事場がないという事例が社会問題にもなっている。日本の死亡原因トップ3に癌が入ってくることから決して癌は他人事ではないということを感じる。
これで募金を始めます、癌を根絶しますといった活動を始めるわけではないが、想像力を持って、癌に対する偏見を持たず、それに伴う生きにくい社会を変える立場の人になりたいと感じる。
1ヶ月
前回のブログを書いてから早いもので1ヶ月が過ぎていた。
帰国前にカウントダウン方式で思いを綴っていたがあえなく3日前にして更新が終了していた、、
7日に帰国してから日本では遊びまくりの毎日。お金は親から出してもらっているのでその点はあまり良いとは言えないが、以前よりもフットワークが軽くなったというか、より人と会いたくなるような気持ちに変わったように思う。
しかし一方、ほとんどの同級生たちは就活中。自分の将来についてしっかり考えて行動している分今の状況の自分がチャランポランのように感じる。また、後輩たちは各大会に向け練習を重ねている姿が、より一層自分は何をしているんだと感じさせてくれる。
特にそれを自分に痛感させる出来事がこの間起こった。
先日、同級生に会って話をした時。彼はアメフト部で就活をしつつも練習もしている状況である。聞くと、彼は昨シーズンの途中からスタメンに定着し、インターセプト数が関東リーグの中でNO.1に輝いたそうだった。その活躍が認められ、昨年最も成長した選手に選ばれたという。
1年の時に膝を怪我し長らく戦線を離脱、またコンタクトスポーツ特有の脳震盪に何度もなり、以前聞いた時はそのポジションの3番手という立ち位置だった。それが半年ぶりに会うと立場が劇的に変わっており、その成長にすごいなという思いと、羨ましいなという思いを抱いた。
自分の心の奥底に、「スポーツでかっこよくなりたい」という思いがずっとあるのだろう。だからそう思うのだ。また、一つのことをやり続けて「成長した」という実感を手に入れた姿に心底羨ましさを覚えたのは自分が、自転車を続けたことに対して結果という成長を確認できなかったのがあると思っている。周りの奴らはそれをやり遂げて、またやり続けながら就活や競技に臨んでいるのだ。
遊ぶこと、リラックスすることはとても大切だし楽しいことだ。
ただ、どこかに「何かが足りない」と感じる自分がいるのも確かなことだ。何かをやり遂げたい。何かをやり遂げて成果を出したい。そう思った長い春休みでもあった。
3ですよ
残すところ3日となりました。
3にちなんで今思い付く3つの後悔と3つの成長を思い起こしてみる。
成長シリーズ
1.語学力
2.コミュニケーション能力
3.自分を知れたこと
1の語学力は来てから、相手が何を言っているのかと自分が言いたいことをある程度は伝えられるようになったこと。またライティング能力もそこそこ付いたというか、文法が得意な分がライティングに生きてくると感じた。
2.コミュニケーション能力。
これは外人相手でも、日本人相手でもある程度話せる事がわかったし、こっちから色々と話題をふって話を盛り上げることも出来た。
3.自分を知れたこと。
これは、自分を見る時間が増えたし、自分の性格を知るような事柄が起きた事によって、ああ自分はこういう風に感じるのかなどが 理解できた。
後悔シリーズ
1.ネイティブと話せなかった
2.彼女を作れなかった
3.働けなかった
1のネイティブと話せなかったのは、周りにネイティブの人が居なかったのもあるし、自分がそこまでの英語力と自信を持ち合わせていなかったのでそういう機会が少なかったのがある。
2の彼女の件もやはり語学力、かつ積極性の問題。というか自信が1番大事だ。
3の働けなかったのは大きな後悔ではないが、少しだけ後悔。でもまあそんな大した後悔ではない。
心残りなのはネイティブとの対話。
完璧に聞き取るのは無理だとしても、そういう環境に身をおいて、耳を慣らしてみたかったのは後悔している。
日本にいてネイティブと話す機会は少ないが、どうにか知り合いを作って英語力を引き続き伸ばしていきたい。
また明日
今日で最後の語学学校が終わり、残すは休日のみとなった。
1月頭から通いだした新しい語学学校。upper intermediate に上がってから先生が当たりで沢山学べることがあった。また、以前の所より英語を真剣に学ぼうとする意識の高い生徒が多かったので、それも刺激になったり母国語をなるべく話さないようにするなど、と学びやすい環境でもあったと思う。特に、学校の終わりにそのままbarやbeachに行くなど仲良かったのも理由の1つであると思う。
今日、学校最終日にクラスメートや他のクラスの人たちとマロニー(bar)へ行き、色々なことを話した。
またそこで気付かされたのが本当に先入観の誤り。今まで話したことがなくて勝手な自分のイメージで相手の印象を決めていたが、実際話してみたり、一緒に長い時間話してみるとその人の本質や性格が見えてくる。何で勝手にこの人は見た目がこうだからこういう性格なんだと自分は決めていたのか。アホらしい。
また、タイ、ブラジル、日本、韓国、ポーランドなど国籍様々な人たちと話すことで英語のレッスンにもなるし色々勉強にもなる。英語を学ぶと、話せるとこんなに面白い話が聞けるとわかったし、もっと話せるようになれば、もう1つの言語を話せるようになればどれだけ面白い話を聞けるようになるのだろう。
モチベーションではないけとれど、日本に帰っても、もう一度留学する時に今よりパワーアップした状態で出きれば良いなと思ったので、しっかり勉強してもっと話せるようになりたい。と強く思った。
残り5日。
普通の日
ようやく自転車のパッキングが終わり、荷物も人にあげ始めたり、必要な物はしまうなのど帰る準備も着々と進み始めた。
日本に居るときは毎日が平凡で同じように日々が過ぎていくのがつまらなく感じ、海外にいれば毎日が刺激的なものだと思ったが、実際半年もいるともう新鮮な日はそんなにないと感じる。街に慣れ、生活に慣れ、友達も出来てくればただただ普通の日常を送るのが普通になった。
それもそうで、毎日新しい事は起きないだろうし、刺激的なことはお金をかけて体験する事の方が多いので限度がある。恐らく1年の70%は普通の日が支配し、30%を刺激的な日を迎えるのではないか。
学校や会社に通う日が休日より多いのと同じように、普通の日が普通じゃない日より多いのはそれはそれで正常なのだろう。だから、平凡な毎日をつまんねーと嘆いて終わるのではなく、非凡な日に向けての準備だと思って、意識を変えて過ごすと面白いかもしれない。
カウントダウン
シドニー生活も今日を含めると残り9日となった。日が立つのは早いというのはくどいほど言っているので、もうそれについては振り返らないようにするが、終わりが見えてくると色々と思い浮かべてしまう。
留学によって成長したのか。英語は上達したのか。後悔なくやれたのか。や、日本に帰ったら何をしようか。英語の勉強をどのようにして続けていこうか。そしてこれから就活はどうしようか。など。
やはり自分の根底には就活への意識があり、それに向けて何かしないとという気持ちが込み上げてくる。
就職活動。良い会社に就きたい。ニートやフリーターになりたくない。これまで多大なお金をかけてくれた親に働いてお金や恩を返さなければならないという思いが何処かにある。きっと親もそれを言ってくるだろうし、それを言われたらぐうの音も出ない。それは散々今まで好きなことをやってお金をかけてたからだ。
就活に対して不安しかない。自分には専門的な知識もないし、外国語を流暢に操れる能力もない。とびっきりの社交性や人懐こさもない。どちらかというとシャイな性格なので、人の間を渡り歩いて内定を掴むような力もないと思っている。
自分が何をしたいのか、何に向いているのかもまだわからない。しかし、ネットや人の話で聞くのは、自分がやりたい事を仕事にするのは子供な考え。社会人はそんなこと知らず、お金をいくら稼げるのか、保険などはしっかりしているのかなどを考えて仕事を決めていると。
自分は文章を書くのが好きで、今は軽く記者になりたいと考えている。でも、もし仮に記者になれたとしても、自分の希望する事を書けるかわからないし、多分80%の確率で畑違いの部署に送られるだろう。また自分が書きたい、取材したい、所に行けても理想と違って落胆するかもしれない。
しかも自分のやりたいようにやっても、需要がそこになければ上からは違うようにやれと指示され、でも自分のやり方は正しいんだと思いながらも上の言う通りにやらざるを得ないので、フラストレーションを溜めながら仕事をしていくしかないのだろう。
人生思い通りに行かないのは少しずつわかってきた。自分がやりたいと思うことに才能がなく、その道で輝けないということもわかった。だいたいはうまく行かない。
そのなかで何を自分はやっていけるのか。自殺を考えたりやうつ病にならないほどのストレスを感じなく、ある程度お金を稼げる仕事が良いのか。
考えは続くが、社会人になるまでのタイムリミットは長くない。