また明日

 

今日で最後の語学学校が終わり、残すは休日のみとなった。

1月頭から通いだした新しい語学学校。upper intermediate に上がってから先生が当たりで沢山学べることがあった。また、以前の所より英語を真剣に学ぼうとする意識の高い生徒が多かったので、それも刺激になったり母国語をなるべく話さないようにするなど、と学びやすい環境でもあったと思う。特に、学校の終わりにそのままbarやbeachに行くなど仲良かったのも理由の1つであると思う。

今日、学校最終日にクラスメートや他のクラスの人たちとマロニー(bar)へ行き、色々なことを話した。

またそこで気付かされたのが本当に先入観の誤り。今まで話したことがなくて勝手な自分のイメージで相手の印象を決めていたが、実際話してみたり、一緒に長い時間話してみるとその人の本質や性格が見えてくる。何で勝手にこの人は見た目がこうだからこういう性格なんだと自分は決めていたのか。アホらしい。

また、タイ、ブラジル、日本、韓国、ポーランドなど国籍様々な人たちと話すことで英語のレッスンにもなるし色々勉強にもなる。英語を学ぶと、話せるとこんなに面白い話が聞けるとわかったし、もっと話せるようになれば、もう1つの言語を話せるようになればどれだけ面白い話を聞けるようになるのだろう。

モチベーションではないけとれど、日本に帰っても、もう一度留学する時に今よりパワーアップした状態で出きれば良いなと思ったので、しっかり勉強してもっと話せるようになりたい。と強く思った。

残り5日。

普通の日

ようやく自転車のパッキングが終わり、荷物も人にあげ始めたり、必要な物はしまうなのど帰る準備も着々と進み始めた。

日本に居るときは毎日が平凡で同じように日々が過ぎていくのがつまらなく感じ、海外にいれば毎日が刺激的なものだと思ったが、実際半年もいるともう新鮮な日はそんなにないと感じる。街に慣れ、生活に慣れ、友達も出来てくればただただ普通の日常を送るのが普通になった。

それもそうで、毎日新しい事は起きないだろうし、刺激的なことはお金をかけて体験する事の方が多いので限度がある。恐らく1年の70%は普通の日が支配し、30%を刺激的な日を迎えるのではないか。

学校や会社に通う日が休日より多いのと同じように、普通の日が普通じゃない日より多いのはそれはそれで正常なのだろう。だから、平凡な毎日をつまんねーと嘆いて終わるのではなく、非凡な日に向けての準備だと思って、意識を変えて過ごすと面白いかもしれない。

カウントダウン

シドニー生活も今日を含めると残り9日となった。日が立つのは早いというのはくどいほど言っているので、もうそれについては振り返らないようにするが、終わりが見えてくると色々と思い浮かべてしまう。

留学によって成長したのか。英語は上達したのか。後悔なくやれたのか。や、日本に帰ったら何をしようか。英語の勉強をどのようにして続けていこうか。そしてこれから就活はどうしようか。など。

やはり自分の根底には就活への意識があり、それに向けて何かしないとという気持ちが込み上げてくる。

就職活動。良い会社に就きたい。ニートやフリーターになりたくない。これまで多大なお金をかけてくれた親に働いてお金や恩を返さなければならないという思いが何処かにある。きっと親もそれを言ってくるだろうし、それを言われたらぐうの音も出ない。それは散々今まで好きなことをやってお金をかけてたからだ。

就活に対して不安しかない。自分には専門的な知識もないし、外国語を流暢に操れる能力もない。とびっきりの社交性や人懐こさもない。どちらかというとシャイな性格なので、人の間を渡り歩いて内定を掴むような力もないと思っている。

自分が何をしたいのか、何に向いているのかもまだわからない。しかし、ネットや人の話で聞くのは、自分がやりたい事を仕事にするのは子供な考え。社会人はそんなこと知らず、お金をいくら稼げるのか、保険などはしっかりしているのかなどを考えて仕事を決めていると。

自分は文章を書くのが好きで、今は軽く記者になりたいと考えている。でも、もし仮に記者になれたとしても、自分の希望する事を書けるかわからないし、多分80%の確率で畑違いの部署に送られるだろう。また自分が書きたい、取材したい、所に行けても理想と違って落胆するかもしれない。

しかも自分のやりたいようにやっても、需要がそこになければ上からは違うようにやれと指示され、でも自分のやり方は正しいんだと思いながらも上の言う通りにやらざるを得ないので、フラストレーションを溜めながら仕事をしていくしかないのだろう。

人生思い通りに行かないのは少しずつわかってきた。自分がやりたいと思うことに才能がなく、その道で輝けないということもわかった。だいたいはうまく行かない。

そのなかで何を自分はやっていけるのか。自殺を考えたりやうつ病にならないほどのストレスを感じなく、ある程度お金を稼げる仕事が良いのか。

考えは続くが、社会人になるまでのタイムリミットは長くない。

休日

新しい学校は月~木までしかないため金~日までが休日になった。

休日の過ごし方が意外とめんどくさく感じる。計画性のない自分は無計画のまま当日を迎え思い付きで行き先を決める事が多い。何かしないと、もったいない。という気持ちがあるのでとりあえず何処かに行くが、1人で遠出するのは何かつまんないので近場でぱぱっと済ませるのが主だ。

この日記を書きながら、今日見つけたオペラハウス近くのレストランを誰か誘っていけばよかったと後悔しつつ、まあまあとりあえず綺麗な景色を見れたからいいかという満足感もありつつ。明日、明後日と予定があるのでそれに向けて。

リスク

去年自分も参加していた自転車レース「行田クリテリウム」の市民カテゴリーで接触、転倒があり、男性が1人意識不明の重体であるというニュースを目にした。開けて今日、重体だった男性が亡くなったという情報が入ってきた。ご冥福をお祈りします。

自転車レースは命の危険を伴う競技には間違いない。時速50~60km/h出る中で吹っ飛んだら軽い怪我で済む方がラッキーなほど。自分も落車で無数の擦過傷をおったり、鎖骨骨折も経験した。ヘルメットを被っているものの、薄いウェアを纏うだけなので、ほぼ生身の体のまま放り投げられる。もうそのあとはどうしようもない。

 事故の原因がタイヤのバースト(破裂)ということだが、詳しい情報、正しい情報は確かではないので何とも言えない。

自転車競技には自転車競技をやっている者にしかわからない快感だったり、やめられない何かがあると考えている。だから例え怪我を負ってももう一度レースに参加しようと決意するし、それが原因でやめようと思う人が少ないのは自分の周りを見ても確かである。

これからアンチ自転車競技の人が、これぞとばかりにやれ危険だ、大会なんて中止しろという声を上げるかもしれない。確かに、ロード乗りは今まで以上に歩行者や車に配慮して走行していくのは間違いない。対向車線にはみ出すような行為や車を煽るような行為は絶対にするべきではない。

しかし理解しておきたいのは、レース中の事故と一般道で走っている時に起きる事故は別物である。レース中の事故はほぼすべて自己責任であると認識せねばならない。自分が単独で転ぶ場合もあれば、他者の転倒に巻き込まれて転ぶ可能性も高いのである。

自分の記憶する限りでは、これが、アマチュアライダーがレース中の事故で亡くなった初めての例であり、また自分が参加していた大会、コースで起こった事故として凄まじい衝撃を受けたものだった。

また来年「行田クリテリウム」が行われるかどうかは分からないが、この事件をきっかけによりいっそう自転車に乗る危険性やレースに参加する責任を呑み込んでいかなければならないと思う。

farewell

タイトルのfarewell は、お別れする、見送るという意味だ。

今まで、英語で友達に I went to airport to say good-bye. と言っていたので、これからはfarewellを使っていこうと思う。

といってもおそらくもう誰かを見送ることはなく、自分が見送られる側になるだろう。もう残り2週間だ。

今日は多くの友達が帰国する日だったので、学校の人をよく空港で見かけた。自分も見送るために空港へ行ったのだが、別れの時は少し感傷的になる。しかし泣くほどではなかった。

小、中、高と卒業、別れの式を経験したものの涙を流す、ものすごく過ごした日々を大切に思い過ぎることはなかったので、振り返ってみれば普通に終わった。元々そういう性格な為、そういう風に感情が湧かないのもあるのだろう。

別れの時に泣きたくはないが、シドニーを立つときに思い残しがないようにするため、2週間を充実させたい。

早いもので

時間はあっという間に過ぎていくと思ってたけど、どこか半年は長ぇなとも思っていた。

しかし、学校卒業、本来なら帰国前日である今日感じるのは短かったなということ。

初めて降り立った9月。もう周りにびびりまくり、緊張しまくり、でもそれを隠して強がっていた。ジムに通うだけでも、いちいち戸惑っていたりと今考えれば笑える事ばかりで懐かしい。

ホームシックにならないかな、とか早く帰りたいと思わないかなとナーバスになっていたが、振り返ってみればそんなことはなく。本当に周りに恵まれ、環境に恵まれ、助けられて過ごしてきた。

残り2週間。

隠居生活や引きこもるような生活はせず、ガンガンアクティブに過ごしていこう。